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飯坂町旧所・名跡iizaka


大鳥(おおとり)城跡 飯坂町館ノ山 
 

飯坂の温泉街を展望する位置にある。かつて、奥州平泉の政権下にあって信達一帯を支配していた信夫庄司佐藤基治の居城であった。基治の子である継信と忠信の兄弟は、源義経に従って各地を転戦、継信は義経をかばって戦死、忠信は義経の危急を救ったのちに切腹したといわれている。

大鳥城主の佐藤基治は、信達地方から中通り一帯に影響力を持った武将で、福島だけでも杉妻城、五十辺城、名倉城、下鳥渡城、飯坂五郎兵衛館などの支城を持っていた。

文治5年(1189)、源頼朝の大軍が、義経をかばった奥州平泉政権を倒すため北上してきた。

佐藤基治は、信達盆地南端の石那坂に出陣して頼朝の軍勢を迎え撃ったが敗れ、その後に許されて本所(信夫郡)に戻ったとされている(阿津賀志山の経岡にさらされたとの記述もある)。平成五年の発掘調査により、大鳥城跡が一四世紀前半まで佐藤氏の居城であった可能性が指摘されている。

 
城跡古舘  飯坂町古舘 
 現地掲示板より転載

この舘は文治5年(1198)石那坂の合戦後伊達朝宗の第四子、伊達四郎為家の築いたもので四代伊賀守政信の時、飯坂氏と改姓し、代々伊達氏に仕えていたが、十四代伊達右近将監宗康、天正17年(1598)に亡くなってから、その娘飯坂局が伊達政宗に従って米沢に移るまで、約300年間ここに居住したのであります。以下省略
                          平成16年9月
                          飯坂史跡保存会
 
 天王寺・陶製経筒 飯坂町天王寺11 
 

天王寺は、今から約1400年前、聖徳太子の令旨によって開創されたといわれるこの辺り随一の古刹(こさつ)である。経筒や鎌倉時代の苔むした供養石塔婆、亀甲石などがある。

境内一帯には、雄沼、雌沼と呼ばれる池があり、桜と紅葉の名所天王寺公園として、浴客の好散策地になっている。

寺内に収蔵されている経筒(きょうづつ)は、明治32年(1899)、公

園開設中にこの寺の裏山地下から発見された。国の重要文化財に指定され「奉施入信夫御社天王寺如法堂銅一口承安元年八月一九日……」という長文のヘラ書き銘のついている須恵器である。

現在の堂宇は、元禄年間(1688〜1703)に火事で焼失した後、宝永7年(1710)に再建された古建築で、寺宝には什物や経筒、三筋壺などがある。

 
 鯖湖(さばこ)の湯(左波子の湯) 飯坂町湯沢32 
 

「あかずして別れし人のすむ里は左波子の見ゆる山のあなたか」という古歌があり、左波子とは飯坂の古名で、後に鯖湖と書くようになったといわれている。伝説では日本武尊が東征の際に詠んだといわれ、また、西行法師が詠んだともいわれている。いずれにしても飯坂が湯治場として古くから知られていたことを示すものである。また、元禄2年(1689)、奥の細道の途中、飯坂に立ち寄った松尾芭蕉が湯につかったといわれ、明治を偲ぶ共同浴場として、長い間飯坂温泉のシンボルとして地元住民や観光客に親しまれている。平成5年に旧鯖湖湯を基に改築され、外観のヒバの香りと御影石の湯船が温泉の雰囲気を引き立てている。

 
 なかむらや旅館江戸館、明治館 飯坂町字湯沢18 
 

江戸末期の土蔵造りの建物を、初代興右衛門が譲り受け、明治の初めに旅館を始めた。国登録有形文化財である。

 
 旧堀切邸 飯坂町字東滝ノ町16  
 

江戸時代から続いていた豪農・豪商の旧家を補修し復元、さらに一部を新築して整備し、平成22年5月、飯坂温泉の観光交流拠点として開館した。敷地面積は約4000平方メートル(約1230坪)であるが、明治13年以前には、現在の2倍以上の面積があったといわれている。

1775年に建築された土蔵「十間蔵」は、県内で現存する最大で最古の蔵であり、そのほかにも近代和風住宅の母屋など歴史的に価値の高い建物が現存している。
 
星宮神社   飯坂町星宮下
   
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