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福島県

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桑折町旧所・名跡koori


 桑折寺山門  
 

永仁5年(1297)、時宗遊行派に属する真教上人が開いたといわれている。宝永2年(1705)、に光林寺と改名、その後、光を香の字に改め香林寺としたが、明治26年、再び元の桑折寺に改めている。

山門は、本堂の東側にある総門、茅葺(かやぶ)きの屋根(現在銅葺き)で唐破風を前後に見せた向かい唐門の四脚門である。1548年ごろ、伊達氏の居城が高館西山城から米沢に移された時、城内にあった御門を解体移設したといわれている。その後、江戸時代に修理が行われたが、伝承や建築の手法から見て室町時代末期の建物ではないかといわれている。この山門は、昭和54年3月20日、県指定重要文化財になった。

 
 御蔭廼松(みかげのまつ)  
 

明治14年(1881)8月10日、明治天皇東北行幸の際、御小休所とされた桑折町内の無能寺本堂前の老松である。天皇陛下が、この見事な松の命名を側臣の杉宮内大輔に命じたところ、「おほきみのみかげのまつの深みとり夏も涼しき色にみえつつ」と詠んだことから「御蔭廼松」と呼ばれるようになった。樹齢は400〜500年といわれている。

 
 旧伊達郡役所建物  
 

伊達郡役所は、明治12年3月、保原町(当時は保原村)に設けられたが、桑折町(当時は桑折村)の有志が誘致運動を行い、明治16年4月に移した。当時2万5000円の巨費を投じて同年10月、間口25・2メートル、奥行き15・9メートル、バルコニーと塔屋を持つ壮麗な擬洋風の総2階建て庁舎を落成した。

郡役所は、大正15年7月1日、郡制が廃止になるまでの約45年間、伊達郡の行政の元締めとしての役割を果たした。その後は、伊達郡各種団体事務所として存続し、昭和17年に県の出先機関としての地方事務所が設置され、以後、県政の第一線の事務所として、昭和44年3月の廃止までその役割を果たしている。

その後、日本建築学会の調査で、同建物が東北地方における地方官公署の原型をとどめる珍しい建物と評価され、昭和49年5月7日、県指定重要文化財となり、次いで同52年6月27日、国指定重要文化財となった。その際、1億800万円を費やし修復工事が行われた。東日本大震災において損壊したため、約9000万円を投じて修復し、往時そのままの建物が再現されている。

 
 半田山、半田沼  
 

半田山は、伊達郡桑折町の西北部にあって、奥羽山脈の吾妻山系に連なる標高863メートルの山である。現在は、自然公園として町民の憩いの場所になっている大同年間(806〜810)ころ、銀の産出が確認され、慶長年間(1596〜1615)に開発が始まり、寛文年間(1661〜1873)、上杉氏が本格的な採掘を開始した。その後、幕府直轄となってからは、徳川幕府が銀山奉行をおいて採掘に当たり、幾度か盛衰を繰り返しながら、最盛期(明治15〜17年)には、年間数千貫(約20トン)の金銀を産出したといわれている。往時は、佐渡相川の金山、但馬生野の銀山と共に三大鉱山と称された時代もあったほどの名山だった。しかし、出銀の衰えから、昭和26年(1951)、最後の採掘が行われ、10年後に閉山した。今では廃坑跡の一部をとどめるのみである「はんだ( 鉛と錫の合金)付け」の名前の由来といわれている。

半田沼は、明治35(1902)〜36年(1903)の半田山大崩落により、沢がせき止められ水をたたえてできたもので、周囲1091メートル、最大深度23メートルの沼である。また、山頂から望む半田沼はハート形に見える(11月〜5月)といわれている。災害の翌年の明治44年から、被災地の復旧事業が始まり、現在まで治山工事が行われている。

明治45年、沼畔に500本の吉野桜が植えられたことで一躍深山桜の名所として広く知られてきた。昭和16年、沼周辺の公園化が進められ、桜、どうだんツツジ、にしき木等が植林されるとともに、登山道や遊歩道、キャンプ場等が整備された。平成元年、現在の半田山自然公園となり、現在は、町民の憩いの場として親しまれている。

 
 

考古資料平沢(へいたく)寺経筒(きようづ)拓本(個人所蔵)

 
 

文政5年(1822)春、桑折の細貝兵作が平沢で開墾中、土中から経筒を発見した(これと同時期、同勧進者銘の同じ経筒が、飯坂天王寺、須賀川米山寺からも出土しており、信夫の佐藤氏の当時の勢力がうかがえる。)。経筒は、その後紛失し、拓本のみが残されたが、平安後期の貴重な考古資料として、昭和30年(1955)、県の重要文化財に指定された(所有者桑折町大字平沢、氏家宏氏)。

 
 万正寺の大榧(おおかや)  
 

桑折駅西方の万正寺集落にあり、文治5年(1189)、伊達氏の太祖中村朝宗が高館城に入居した記念として、植樹した銘木といわれている。樹高15メートル、幹周8・70メートルの見事な樹姿で、榧の巨木としては県内随一である。昭和28年10月、県の天然記念物に指定されている。

 
 観音寺・木造聖観音坐像(しようかんのんざぞう)  
 

観音寺は、宝治元年(1247)、伊達家四代桑折西山城主政依公が、亡父義広の菩薩を弔うために建立された。

聖観音坐像は、宝冠に化仏をつけた丈六の像である。作りは寄せ木造りに漆箔、頭部両肩膝部をはぎ合わせ、玉眼、高い宝髪、広丈は、両肩を包み、左右にほぼ対称的に垂れかかる。全体的に複雑な彫刻であり、宋朝の影響を受けた鎌倉末期から室町初期の特徴を示しているといわれている。県指定重要文化財である。

 
 桑折西山城跡  
 

桑折駅の西側にある標高193メートルの高館山に本丸、二の丸、砲台場、中館、西館と続く、東西1・3キロメートル、南北1キロメートルの複郭式の平山城である。鎌倉時代、伊達氏の始祖中村朝宗(ともむね)が、源頼朝の奥州合戦の戦功として伊達郡を賜り、関東から下向、高館に城を築き居城としたのが始まりといわれている。その後、応永9年(1402)、九代伊達正宗が、上杉氏憲の率いる足利軍に破れたり、伊達氏の内紛「天文の乱」で、父と子が南奥州の諸大名、家臣団を二分して争う大乱等があったが、天文17年(1548)、一四代植宗まで360年間この城に居城したといわれている。現在も、高館山一帯が山城の形を残し、中館、西館跡には当時の石垣、空堀が見られ、往時の壮大な山城の風格を今に伝えている。

 
 うぶかの郷  

平成14年にふるさと創生事業の一環として建てられた温泉施設で、財団法人桑折町振興公社が管理営業している。温泉の成分は、アルカリ性単純泉であり、慢性婦人病、動脈硬化症などによく効くとされている。大きく切られた窓越しに四季の風景が楽しめる風光明媚な大浴場となっている。同施設は、日帰り入浴をはじめ、宿泊施設、会議室などが完備されている。

 
 
   
   

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