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福島県

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国見町旧所・名跡kunimi


 石母田(いしもだ)供養石塔  
 

厚樫山の西麓、蛭沢川のほとりに、高さ1・8メートル、幅45センチメートルの不整形な方柱の供養塔がある。国の史跡に指定されている板碑で、地元では俗に「蒙古の碑」と呼んでいる。梵字の下に6行154文字の供養文が刻まれている。

この供養文を書いた一山一寧(いつさんいちねい)は、730年前に宋の台州に生まれ、文永、弘安の役後、日本征服を諦めぬ元(げん)の勧降使として来日し、その後に帰化した碵学有徳の僧である。朱子学に詳しく、また、書道家としても知られている。

供養塔は、知己の僧智?が、親の百か日の追善供養に塔婆を建立する功徳の由来を述べたもので、その大意は「塔婆を見る者は苦境を免れ、作るものは必ず極楽浄土に往生できる」というもので、鎌倉時代の仏教思想を示す貴重な遺物である。

供養塔の付近には、石塔の台座及び観音堂、薬師堂などがあり、満福寺という古刹があったといわれている。

 
 阿津賀志山(あつかしやま)(厚樫山)防塁  
 

宮城県境に近い国道4号沿いにある阿津賀志山は、頂上に展望台があり、眺望する県北平野部の景観は見事である。

後鳥羽天皇の文治5年(1189)8月、源頼朝が藤原泰衡(ふじわらのやすひら)を討伐するため軍を起こした際、これを迎え撃つ泰衡は、阿津賀志山に城壁を築いて要害を堅め、幅口五丈(15メートル)の二重堀を阿武隈川までの約3キロメートルにわたって築き、国衡(くにひら)に守らせた奥州合戦最大の古戦場である。

また、ここは、俳聖芭蕉が飯坂鯖湖の湯に一夜をあかした際、胃痛を生じ、早々に桑折に出て、奥州道中をたどり、国見峠(厚樫山の東麓)を越えた時の状況を、「羈旅(きりよ)辺土の足脚、捨身無情の観念、道路に死なん是天の命なり、と気力聊(いささ)かとり直し、路縦横に踏んで伊達の大木戸を越す」と悲愴(ひそう)な気魄(きはく)を新たにした不滅の名文を『奥の細道』に残したところでもある。

阿津賀志山の地名は、刈田郡(宮城県)の篤借(あつかし)郷(「 倭名類聚抄」(わみょうるいじゅうしよう))によるもので、この県境付近一帯に広がる山地の総称である。

 
 岩淵遺跡  
 

厚樫山の山すそが長く延びた台地上の遺跡で、標高107メートル、台地の東すそにわき水がある。

昭和48年(1973)、二次にわたり国見町と福島大学で発掘を行った調査により複式炉五基を発見、第1号の住居跡は直径7・4メートルの円型竪穴住居で、三本の主柱と垂木を組み合わせた骨組みに茅屋根を葺いたものである。住居の中央部には長径60センチメートルの石囲炉、入口部には長径が3・2メートルの石組複式炉が置かれ、全国的に最大規模のものといわれている。

 
 塚野目古墳  

中通りの古墳としては、最大規模である。主軸は、東西方向に約70メートル、後円部の直径が約52メートルの前方後円墳で、八幡塚古墳ともいわれ、古代の信夫国府の墳墓とする説もある。

昭和50年(1975)の発掘調査で石製模造品、土師器、大型の朝顔型埴輪や円筒埴輪などが出土している。 
 
   
   
   
   
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