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福島市宮代旧所・名跡miyashiro


日枝(ひえ)神社 宮代山王神社 宮代字鍛冶畑 

一般に「宮代の山王様」といわれている。古くは源氏に関係があり、国家鎮護、武運長久の守り神として信仰されてきた。

社伝によれば、永承年間(1046〜1052)、源頼善が奥州平定の際、この地に鎮守府を設け、近江国日枝山の神を奉斎した。康平5年(1062)、源義家が社殿を築き国家鎮護を祈願したのが始まりといわれている。

天正時代(1573〜1591)、瀬上神主瀬上築後守が、産土神(うぶすながみ)として現在地に遷宮したもので、正一位の格式がある。

祭神は「大山咋大神(おおやまくいのおおかみ)= 山林河川、田畑など農産の守り神」。「大己貴大神(おおなむちのおおかみ)=国造り、畜産、医薬の神」。「少産名大神(すくなひこなのおおかみ)=医薬酒造りの神、特に頭、眼病、平癒の神」として信仰されてきた。

また、境内は、日本で最大規模の一揆といわれる「寛延の大一揆」の集会所となったところである。

この山王の森(宮代山王境内の森の意)には、次のような悲しい物語が幾つか残されている。

○ 恋しい人の名を刻んだ「あんずの木」の下で死んだ一六歳の乙女の話

○ 応永22年(1415)、大仏城の合戦で敗れた伊達松永丸一族が城を捨てて逃れる前夜、無念の涙を流したのもこの森

○ 冷害、凶作のため、泣く泣く青春を瀬上遊郭に売らねばならなくなった娘たちが、貧しい父母や弟妹と別れの涙を落とした話

○ 哀愁の詩人「佐藤寛」がこの森に来たのは、大正10年(1921)のことであった。ただ一人の愛児を失った悲しみに耐えられず、仙台市から漂白の旅の途中、この森で書いた詩も哀れであるとの話

 
足守藩陣屋跡 宮代字北口
 
宮代の大カヤ 宮代字北口 
福島市指定天然記念物   
政宗駒つなぎの銀杏 泉性院  宮代字北口23 
境内掲示板より転載
  

 慶長6年(1601年)4月26日、関ヶ原のいくさ後、伊達政宗は一萬五千の大軍を率い、かって祖父の地であった福島城(現在福島県庁)をうかがった。
 茂庭、屋代、片倉の武将らを先陣とする伊達勢は、まず「瀬上宮代」の戦闘で、会津上杉方の小田安芸らを破る。伊達勢は前進して信夫山の中腹に陣を構えた。前線の兵は、現在の陣場町まで進攻した。
 これに対し、梁川城を出撃した会津上杉方須田長義隊は伊達軍の荷駄多数を奪う。伊達勢は後方が不安になった。そこへ上杉景勝の福島城代をしていた本庄繁長の軍勢が打ち出て、阿武隈川の支流、松川附近で猛攻を加えた。その時政宗はこの銀杏の樹に馬をつなぎ陣を構えて作戦を練ったところから「政宗駒つなぎの銀杏」と呼ばれるようになったと言い伝えられている。
 樹齢については定かではないが、天文24年(1555年)5月の古文書に載っているから430年以上たっていることは確かである。
                        昭和62年3月吉日
                                 泉性院
 
   
   
   
   
   
   
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