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福島県

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警察署の紹介Introduction

管内の沿革

大和政権の勢力と仏教が、並行してこの地方に浸透してきたことを示す遺跡、遺物は多く、信夫菩提寺(ぼたいじ)とされる飯坂の西原(にしばら)廃寺跡、摺上川の南北両岸に認められる条里(じょうり)遺構には日枝(ひえ)(山王)神社が祀られる。国指定重要文化財である天王寺の陶製経筒(きょうづつ)もこの時代の作といわれている。
 

福島市(福島北警察署関連)

 

文治5年(1189)の石那坂、阿津賀志山の戦いの後、飯坂、大鳥(おおとり)城に拠った奥州藤原の一族佐藤氏は勢力を弱めた。

明治2年(1869)8月、信夫郡飯坂村に第三区会所が置かれたが、同12年に廃止され、信夫郡役所のもとに上飯坂村他五か村戸長役場が置かれた。同22年4月、上飯坂村は飯坂町に改称された。

明治14年(1881)、それまで板谷峠を通っていた米沢街道は、山形県令三島通庸(つねみち)の建設計画に基づいて、栗子峠にトンネルを設け完成した。この年の明治天皇行幸にちなんで「万世大路」(ばんせいたいろ)と名付けた。昭和22年(1947)3月、瀬上町、鎌田村が近郊の村と一緒に福島市と合併し、同29年3月、笹谷村、大笹生村が、吉井田村などと一緒に福島市と合併した。

昭和30年(1955)3月31日、信夫郡飯坂町、平野村、中野村及び伊達郡湯野町、東湯野村、茂庭村の二町四か村が合併して福島市飯坂町となり、現在に至っている。

 

桑折町

 

地名の由来は、古代の郡衙(ぐんが)が置かれたことによるとみられる。

文治(ぶんじ)5年(1189)、伊達氏の太祖中村常陸介朝宗(ともむね)

入道念西が伊達郡の領主となり、桑折町の西方高館山に築城し、代々当地を政管した。城は時代により赤館城、高館城、西山(にしやま)城等と呼称され、現在は、桑折西山城跡として国の史跡に指定されている。

江戸時代は、奥州街道の宿場町として栄え、また、日本三大銀山の一つに数えられた半田銀山では、銀が盛んに掘られた。

天正18年(1590)、蒲生氏郷の領となり、慶長3年(1598)には上杉景勝の所領となった。上杉氏削封により寛文4年(1664)から幕府直轄となったが、延宝7年(1679)本多政武が福島に封じられ、その支配に属した。天和2年(1682)、再び幕府直轄となり、貞享3年(1686)、代官柘殖伝兵衞は、公庁を桑折に移した。

寛延2年(1749)、神山三郎左衛門が代官となり、陣屋を岡村から桑折に移してからは、明治元年(1868)まで、一時大名預所となったほかは幕府直轄であった。

大政奉還に伴い、一時磐城の国に属し、明治2年、岩代国に編入され、郡長が主管して公庁を桑折村に置いた。同3年、従来の名主を廃止して村長とし、桑折には、本陣区会所が設けられた。

明治16年(1883)、伊達郡役所を保原から桑折に移転し、以後、郡制の中心地として重要な位置を占めた。同年10月、バルコニーと塔屋を設けた擬洋風の郡役所を新築した。

明治22年、桑折町、睦合村(むつあい)(万正寺(まんしょうじ)、平沢(ひらさわ)、成田(なりた)、松原(まつばら)の四か村が合併)、伊達崎村(伊達崎(だんざき)上郡(かみごおり)下郡(しもごおり)の3か村が合併)、半田村(はんだ)(北半田、南半田、谷地(やじ)の3か村が合併)に改まり、昭和30年(1955)1月1日、これら一町三村が合併し、桑折町として発足、現在に至っている。

なお、伊達郡役所は、戦後伊達地方事務所として存置したが、昭和44年(1969)4月、県行政機構の改革に伴い、廃止になり、その後、7月まで諸団体や県の地方事務所が置かれた。同四九年、県の重要文化財に、同52年、国の重要文化財に指定された。

国見町

古代、この地方は陸奥国信夫郡(むつのくにしのぶ)に属して伊達郷(いだて)と呼ばれ、8世紀頃には、東北地方でも有数の規模を持った条里制(じようりせい)による大規模な開田も進められ、大木戸窯跡(おおきどかまあと)では須恵器(すえき)も焼かれた。

平安時代には、旋回花文軒丸瓦(せかいかもんのきまるがわら)や蓮華文(れんげもん)軒丸瓦などを出土する徳江(とくえ)廃寺が創建されたり、山居遺跡(さんきよいせき)では製鉄の痕跡も認められるなど、高い文化の存在が推測される。

11世紀には、信夫郡から分立して伊達郡となり、奥州藤原氏の支配下となった。文治5年(1189)、藤原泰衡が源頼朝の率いる鎌倉軍を迎え撃った阿津賀志山(厚樫山、別名国見山)の戦いの時に、二重堀と呼ばれる防塁壁が築かれた。その後、伊達郡を得た中村朝宗(なかむらともむね)が移住し伊達氏を称してからは、伊達氏とのつながりが深くなった。

往時は、前記桑折町と同様に伊達氏、上杉氏等の領地であり、幕府直轄に属した。江戸時代は奥州道中の宿駅として藤田宿(ふじた)貝田宿(かいだ)、さらに、羽州街道登り口に小坂宿があって、これらの宿場を中心に発達した。特に、藤田宿は庶民の宿駅としてにぎわう一方、蚕糸や絹織物の集散地として経済力を蓄積した。天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置により蒲生氏領になり、次いで、寛文4年(1664)まで上杉氏の支配下に置かれた。

以降、幕領福島(本田)藩、桑折(松平)藩、足守(木下)藩、仙台(伊達)藩預領等、支配の変遷を繰り返しながら明治維新を迎えた。この間、寛永10年(1633)には、徳江川岸から江戸への御城米の積み出しが行われていた。

明治に入ると、奥州道中は陸羽街道(りくうかいどう)と改称、一等道路に指定され、同18年(1885)には国道6号となり、大正9年(1920)には国道4号と改められた。

明治22年、藤田(ふじた)、石母田、山崎の3か村が藤田村に、小坂(こさか)、泉田、鳥取、内谷の四か村が小坂村に、森山、徳江、塚野目の3か村が森江野村(もりえの)に、大木戸、貝田、高城、光明寺の4か村が大木戸(おおきど)村に、西大枝、東大枝、川内の3か村が大枝村(おおえだ)にそれぞれ合併した。その後、大正4年、町制施行で藤田村が藤田町になり、当地方の中心をなしていた。

昭和29年(1954)3月31日、藤田町と小坂、森江野、大木戸、大枝の4か村が合併して国見町となり、同年7月、大字東大枝が分町して梁川町(現伊達市)に編入された。

昭和53年6月12日の宮城県沖地震による被害は甚大で、特に、木造モルタル造りの町役場庁舎は破損甚だしく、同54年10月、隣地に鉄筋コンクリート3階建ての庁舎を新築した。

平成23年(2011)3月11日、東日本大震災が発生、国見町では震度6強を観測し、役場庁舎が被災した。

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